中丸子まちある記〜緑道と碑をめぐる、ちょっと歴史さんぽ〜

こんにちは、タンジです^^

今回は、先日書いた「中丸子」の地名についての記事の続編として、

中丸子まちある記〜緑道と碑をめぐる、ちょっと歴史さんぽ〜

をお届けしたいと思います!

地名の由来を調べていたら、「実際の街並みを見てみたいな」という気持ちが湧いてきたのと

「中丸子の多摩川近くで、地域の歴史について書かれた碑を見かけた」という話を福地さんから伺い、より興味が強くなったので、街歩きをしてまいりました!

今回はそのレポート記事になります。ゆるりとお付き合いください^^

平間駅からスタート!

今回のスタートは、南武線の平間駅。

多摩川沿いに、中丸子の地域の歴史が書かれた碑があると知り、それを目指して歩くことにしました。

川にかかっていない「玉川橋」

平間駅から歩いていくと、玉川(ぎょくせん)小学校の近くでさっそく気になるものを発見。

「玉川橋」と刻まれた欄干が残っているのですが、まわりに川は流れていません。
左右を見渡してみると、道路(橋)から一段低くなった道が続いています。

かつて川だったであろうことがなんとなく見て取れる地形です。

この橋の来歴が気になったので、調べてみることにしました。

実はここ、かつて渋川(しぶっか)と呼ばれた水路が流れていた場所なんだそう。
(”しぶかわ”でなく”しぶっか”と呼ばれていたんですね!)
現在渋川は暗渠化され、中丸子南緑道として整備されています。
緑道が造成されたのは1974(昭和49)年のことだそうで、それより少し前まで渋川が流れていたのだと思われます。

こちらの緑道、地域の方々の手によってなんと30年以上にわたって手入れが続けられているのだそう。

その活動の始まりは、雑草が生い茂りゴミが投棄されるほど荒廃していたこの緑道を、たった一人でコツコツと手入れし始めた方がいたことから。
その姿に共感した方々が集まって「中丸子南緑道・緑を守る会」を発足し、今日の美しい緑道へとつながっているのだそうです。

そのエピソードに、思わず胸が熱くなりました。

ここも川だったのかな?という道

玉川橋から少し歩くと、またしても「昔は川が流れていた場所なのでは?」と感じさせる道を発見。

こちらは中丸子緑道。かつての中丸子堀を暗渠にして整備した緑道です。
春にはヤマブキやツツジ、初夏にはハナミズキが彩りを添え、四季を通じて楽しめる場所なのだそう。

中丸子堀には昔は大きな水車があったそうですが、関東大震災で焼失してしまったのだとか。

睦ヶ丘住宅の碑

多摩川に向かってさらに歩いていくと、多摩川沿線道路の手前で石碑を発見!

これが最初に目指していた碑です。碑には次のように刻まれていました。

この土地は、昭和十五年、産業住宅として造成されたが、法的手続き未済のまま、終戦となった。
爾来三十余年、地権者と居住民との間に種々問題が生じ、多くの人々が努力されたが解決に到らなかった。
昭和五十四年より、市議会議員長谷川英吉 松島輝雄 町会長星野梅次郎氏の懸命なる努力と、市当局の協力によりすべて解決され、今日の整備された住宅街が完成した。
ここに当時の労苦を偲び関係者の尽力に感謝し、碑を建立し、後世に伝えるものである。

平成三年七月吉日 睦ヶ丘住宅 町民一同

1940(昭和15)年に造成されながら法的手続きが未済のまま終戦を迎え、30年以上にわたって問題が続いたこの土地。
それがようやく解決し、住宅街として整備されたことへの感謝が、1991(平成3)年に碑として刻まれたのでした。

ここに書かれている内容からも、起きた出来事が石碑として残されていることからも、
住民の方々の想いの深さ・強さが感じられます。

有吉堤竣工百年の碑へ

続いて、中丸子緑道を武蔵小杉方面へ。
歩いていくと、中丸子公園のあたりで今度は大きな石碑を発見🔍

有吉堤竣工百年の碑」です。

隣には丁寧な解説板もあって、ここで有吉堤の歴史をじっくり読むことができました。

有吉堤ってなに?

この解説版には、すぐ後ろにある道路・有吉堤の歴史について書かれています。
内容をざっくりまとめてみました🔽

多摩川はかつて、大雨のたびに氾濫・洪水を引き起こす「あばれ川」として知られていました。
1907(明治40)年、1910(明治43)年と大水害が続き、橋が流され、道路がくずれ、家までおし流されるほどの被害があったのだとか。

相次ぐ水害に対し、国も全国65河川の大改修に取り掛かることにしたものの、戦争による財政難の影響もあり、多摩川は後回しにされてしまいます。

そこで地元の人々が立ち上がったのが、アミガサ事件です。

1914(大正3)年、御幸・日吉・住吉・町田(現在の矢向)の村民たちが、自作のチョンボリガサ(アミガサ)を付けて神奈川県庁に「大挙陳情」を決行。 この事件をきっかけに多摩川築堤期成同盟が作られ、さらに活動が広がります。
有吉忠一氏が県知事に就任すると、実状調査のうえ県費負担で、1918(大正7)年に堤防工事が始まりました。
住民たちも進んでこの工事に参加したといいます。

ところが、対岸の東京側から激しい反対運動が起こり、国から工事中止命令まで出されてしまいます。
有吉知事はこの命令を無視して工事を続行。結果として国から譴責処分を受けることになりましたが、後年この処分を「県民のために公利を許った」のだから「名誉な譴責だ」と回顧したのだそうです。

この工事は1934(昭和9)年に竣工。当時の県知事の名をとって、有吉堤と呼ばれるようになりました。

解説板を読みながら、洪水に何度も泣かされてきた住民たちの粘り強さと、それに応えた有吉知事のことを思うと、これまた感慨深いものがありました。

🔼現在の有吉堤の様子

ちなみにこの石碑があるのは、川崎七福神のひとつ・無量寺の目の前なんです!
数年前に七福神巡りをしたなあ……と懐かしくなりました^^
(その時の記事はこちら🔽)

この町をよくしたい、という想い

今回は、中丸子の緑道と碑をめぐる散歩レポートをお届けしました。

実際に街歩きをしたことで、地名を調べているだけでは触れることのなかった、地域に刻まれた人々の歴史や想いに、ぐっと近づけた気がします。

中丸子南緑道は、たった一人が黙々と草を刈り続けたところから始まった緑の道。
睦ヶ丘住宅の碑は、30年以上続いた問題をようやく解決した人たちへの感謝の記録。
有吉堤は、洪水に苦しんだ住民たちが体を張って訴え続けた結果うまれた堤防。

ふと思い出したのが、前回の記事で書いた武蔵中丸子駅の復活運動のこと。
廃止された駅を取り戻そうと、住民たちが署名を集め、市議会に請願書を提出し続けた話でした。

どのエピソードも、時代は違えど、「自分たちの住む地域をよくしたい」という想いが共通しているなあ、としみじみ感じました。

中丸子、味わい深い歴史を感じられる町でした^^

おまけ♪

街歩きの終盤、以前から気になっていたカフェへ向かうことにしました。

12 COFFEE AND BAKE(ジュウニ コーヒー アンド ベイク)さんです。

「確かお店の住所に”丸子”という文字が入っていたような…?中丸子に近そうだし、行ってみたい!」
と思って目的地にしていたんですが

ちゃんと調べてみたら、近くはなかったです🤣

街歩きのスタートは平間駅で、お店の最寄りは武蔵小杉駅。
歩くと20分くらいかかりそう…

でも!
よく考えたら、かつての丸子庄の範囲をちょうど縦断するようなルートになるかもしれない、と思い、やっぱり歩いてみることにしました。

お店は川崎フロンターレサポーターのご夫婦が営む、アットホームなカフェ。

今回いただいたのは、バナナブレッド

トッピングにバニラアイスかクリームを選べて、わたしはアイスにしました。
お菓子の上にアイスがのっていると、なんだか贅沢な気持ちになります😋

温かいブレッドにアイスがいい感じにとろけて、とってもおいしかったです。

そして、グラスがおしゃれなアイスカフェラテ
暑さの中歩きまわって疲れた体にしみわたります…!

落ち着く雰囲気の中、美味しく人心地つけて、大満足でした!

【参考リンク】

※いずれも閲覧日は2026年8月23日

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