地名から紐解く元住吉~井田中ノ町~

こんにちは、タンジです^^

今回は、福街不動産がご紹介中の物件が所在する

井田中ノ町

という町の地名についてまとめてみたいと思います!

普段なんとなく通り過ぎている町の歴史を知ることで、今までとは違う魅力を見つけられるかも?

ぜひぜひ楽しみながら読んでみてくださいね^^

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井田中ノ町って、どのあたりにあるの?

地図で見てみると、井田中ノ町は次のような形になっています🔽

東西でいうと、
東はブレーメン通り商店街との境目から始まり
西は高津区との境目まで

南北でいうと、
南は尻手・黒川道路を超えた南側のあたりまで
北は井田神社のあたりまで

中原区の地図パズルを見ると、元住吉周辺では比較的面積が広めの町であることがわかります。

(住居表示上、木月は1~4丁目、井田は1~3丁目に分かれています)

井田中ノ町の地名について

「井田」の由来とは?

実は「井田」という地区の歴史は古く、井田山の近くでは

神庭(かにわ)、井田伊勢原、井田中原

といった、縄文早期から古墳時代後期ごろの遺跡が発見されています。

「井田」という地名の由来については、

・「井」が井筋(用水路)のことを指し、村全体に用水路がいきわたっていたことからつけられた地名
・「井」が湧水や池、流れを指す語で、「田」が処を表す語であり、湧水の多い場所であったことから「井田」と呼ばれるようになった
・古代中国の「井田法」の井田:格子縞の田の区画が目立つところ からくる地名なのではないか

等の説があるようです。

現在の「井田中ノ町」という地名ができるまで

「中ノ町」という地名も古くから使われていた名前のようで、1800年代前半の書物である「風土記稿」にもその名が登場しています。

現在の「井田中ノ町」という町名になるまでの流れを年表にすると、次のようになります。

1889年(明治22年)

市制町村制施行に伴い、今井村、市ノ坪村、苅宿村、木月村、井田村、北加瀬村が合併し、住吉村ができる。この時、「井田」は大字となる。

1925年(大正14年)

中原村と住吉村が合併し、中原町が誕生。その大字として使われるようになる。

1933年(昭和8年)

中原町が川崎市に編入し、中原町井田から、川崎市井田となる。

1940年(昭和15年)

耕地整理の結果、井田中ノ町・井田杉山町・井田三舞町の町名ができる。

※中ノ町地域に加え、木月よりにあった東町という地域、三舞地域及び下沼地域の一部を合わせて、「井田中ノ町」という町になった。

1972年(昭和47年)

川崎市が区制施工。中原区が誕生し、それぞれ川崎市中原区井田○○町という地名になる。

※ちなみに、井田〇〇町の「町」は、3つの町丁どれも「ちょう」と読みます。

地域の様子の移り変わり

かつては「井田」という名のとおり、わずかな畑と多くの田んぼが広がる地域だったということですが、戦後昭和20年代後半から、現在の姿につながる変化が始まります。

1940年(昭和15年)の耕地整理以降、現在の商店街通りとなる道路の造成が始まり、駅周辺が「元住吉商店街」として形成され、井田中ノ町周辺にも商店街が広がってきました。

昭和30年代以降には社員寮や個人住宅の建設が増加。
これまでに「マンションストーリーズ」のシリーズでも何度かご紹介してきましたが、
そのころにできた社員寮が、大型のマンションへと建て替えられているケースも多いです。

今でも畑や緑豊かな場所が数多く残されてはいますが、多くの住宅やお店が立ち並ぶ、賑わいのある地域へと変貌を遂げています。

まとめ

というわけで今回は、「井田中ノ町」という町名の由来や歴史についてのまとめでした!

調べる前に井田中ノ町について抱いていたイメージとしては、

・商店街が近くて便利なところ
・緑も多く、ゆったりした雰囲気があって落ち着いた暮らしができそう
・住宅が多いところ

というものだったのですが

実は古くから歴史がある場所だということがわかって、個人的には非常に興味深かったです。

井田山付近には遺跡もあるとのことなので、お好きな方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

【参考文献・URL等】

・「川崎地名辞典 上」、日本地名研究所編、川崎市、2004

・「川崎の町名 改訂版」、日本地名研究所著、川崎市出版、2024

・川崎市ホームページ「区別町名一覧表(中原区)」(参照日:2025年2月14日)