元住吉パーク・ホームズ マスターズコート(前編)

みなさんこんにちは、タンジです^^

今回は「マンションストーリーズ at 元住吉」第2弾!ご紹介するマンションは、「元住吉パーク・ホームズ マスターズコート」です!

【元住吉パーク・ホームズ マスターズコートが建てられたころのできごと】

元住吉パーク・ホームズ マスターズコートが建てられたのは、2001(平成13)年10月。まもなく20歳を迎える物件です。このマンションが建つ前、この場所には「新日本製鐵㈱井田アパート」という建物がありました。おそらく、会社の社宅だったものと思われます。

元住吉パーク・ホームズ マスターズコートが建てられた頃に川崎市で起きた主な出来事は、

  • 2000(平成12)年 新丸子橋開通 東横線に目黒線が乗り入れ開通する
  • 2000(平成12)年 新丸子橋開通 東横線に目黒線が乗り入れ開通する
  • 2001(平成13)年 子どもの権利条例、男女平等かわさき条例 施行 

           首都高速湾岸線 全線開通 

           第11代市長に阿部孝夫 就任

  • 2002(平成14)年 区制30周年 なかはらの歌」を発表・披露 

           中原区誌「わたしたちの中原」を編集

などが挙げられます。

ちなみに、2001(平成13)年は、アメリカ同時多発テロ事件が起きた年でもあります。翌2002(平成14)年には日朝首脳会談・北朝鮮拉致被害者の帰国といった出来事も。歴史的な出来事が立て続けに起きた時期に建てられた物件なのですね。

【元住吉パーク・ホームズ マスターズコート周辺今昔】

元住吉パーク・ホームズ マスターズコートが建てられた直後(2002年)の地図と、現在の地図を見比べてみます。当時も現在も住宅街で、一見あまり大きな構造の変化はないように見えます。しかし、細かく見ていくと、2つのことに気が付きました。

その1:社宅や社員寮が姿を消している

2002年の地図では、この地域に社宅・社員寮がいくつもあったことを確認できます。現在の地図でそれらの場所を見てみると、多くが大型マンションや、戸建て住宅地へと姿を変えているのです。

2002(平成14)年現在
三菱自動車工業㈱井田アパートプラウドシティ元住吉
サントリー㈱木月大町社宅1号棟・2号棟プラウド元住吉スクエア
サントリー㈱杉山町社宅戸建て住宅地
ANA井田社宅アルファステージ元住吉
横浜ゴム小杉寮シエント武蔵小杉
キグナス石油精製㈱木月寮グランリビオ元住吉木月祇園町
社宅からマンションへと用途が変わった土地まとめ

そのほか、該当する箇所を地図にまとめると、以下のようになります。

2002年建設当時の、元住吉パークホームズマスターズコート周辺の地図

結構たくさんありますね!駐車場や畑だった場所に集合住宅が建っているケースもいくつかあり、この20年でかなりマンションの数が増えているように感じます。

その2:保育園が増えている

2002年の地図と現在の地図を見比べると、保育園が4つ新設されていることが分かります。

4つのうち、2つは駐車場だった土地に建てられており、1つは元々あった建物を建て替えた作られたもの、もう1つは元からある建物を利用して開かれたもののようです。現在、保育園激戦区として知られる中原区。元住吉パーク・ホームズ マスターズコート竣工当時と比べて、保育需要が大きく高まったことの表れのように感じます。

元住吉パーク・ホームズ マスターズコートが建ってからおよそ20年。「住宅街だし、このくらいの短い期間だとあまり変わっているところはないのでは?」と思っていたので、これほど大きく変化していることに驚きました。

後編では、実際に元住吉パーク・ホームズ マスターズコート周辺を歩き、現在の様子についてレポートしていきたいと思います。

おまけ【福街不動産の所在地今昔】

2002年の住宅地図では、今福街不動産がある場所は「あすか接骨院」という表記になっています。現在までの地図を見ていったところ、

あすか接骨院→カットハウスリセ→もとえ珈琲(現Mui)

という変遷を経た後、福街不動産の店舗になったことが分かりました。福街不動産の店舗は、いろんな業種を経験してきた場所だったのですね!