20年前 イタリア 自転車
20年前、イタリアに折りたたみ自転車を持参し旅行してきました。
彼の国には誰も知っている人がおらず、
ローマで困って立ち寄った日本の大手旅行会社の方には冷たくされ、
白タクで2万円を脅し取られ、
ジェラートを食べすぎてお腹をこわし、
泊まるホテルのほとんどが水が流れずトイレを我慢したり、
高速道路に侵入して猛スピードの車に轢かれそうになり、
ベネチアでゴンドラ乗りと朝飲んでいたら警察に補導され、
帰国する際、空港に自転車で行こうとしたら車でしか行けない事に出発2時間前に気づき、大雨の中、駆け込んだバルで「Please call taxi!!」と懇願するも英語分からないと言われ顔面蒼白になり、、、
そんなイタリア旅行、
着いて三日で日本が恋しくなったけど、
やっぱり行って良かった。
ポケベルからPHSに変わる頃で、
カメラ機能はまだ付いてなくて、
使い捨てカメラを1台持って行きました。
写真がもし見つかれば今後掲載しようと思います。
もうあれから20年が経ち、
気づかぬうちに記憶から少しづつ消えていっている感じがしたので、
出来るだけ思い出して書いてみます。
しばしお付き合いくださいませ。
おじさん2人 と ジパングの少年
佐川急便で貯めたお金と旅費として母親に頂いたお金 合計10万円を持ち、
意気揚々とイタリアのローマに降り立った。
夜に飛行機が到着。ホテルを予約していなかったため、空港内で少しキョロキョロしていたら、体格の良いおじさん2人が笑顔でこっちを見ている。
「お〜、どこに行きたいんだい?ローマか?おじさんがホテルを紹介してやるぞ〜!」
優しい人達がイタリアにはいるものだと感心し、自転車を持ってもらい付いて行ったが、しばらく一緒に歩いて行った先は、タクシー乗り場では無く黒塗りの高そうな車が停まっている場所に。100%白タク!と気付いた時には後の祭り。自転車も人質に取られていたので観念して乗る事にした。
持っていた 旅行で使えるイタリア語の会話本 だけでは流暢な会話ができる訳は無く、白タクに乗っているという恐怖を和らげるため、つたない英語を駆使して愛想よく話していました。おっ、このまま仲良くなって「おまえいい奴だ、頑張れよジパングの少年!」なんて良い話に・・・などど淡い期待をし始めた頃、その瞬間は訪れました。
助手席に座っていたおじさんが声色を変え、お金を要求してきました。
「日本円しか持ってないです」
「それでいい、よこせ」
断ったら、何かがおじさんの胸ポケットから出てきてしまう予感がしたので、10,000円札を渡しました。
「もっと持ってるだろう、よこせ」
ここですんなり渡したら有り金を取られてしまうと感じた私は、お金を渡す気がある事を伝えつつも、半泣き状態でイタリア自転車旅を楽しみたい思いを白タクのおじさん達にぶつけた後、10,000万円札を渡しました。(合計20,000円)
「まぁ、いいだろう」
た、助かった〜!!!!!
ほっとしたのも束の間、案内されたホテルの宿泊費が一泊30,000円!どひゃー!!
このお金の一部がおじさん達の飲み代に消えてくんだろうなと思いながら、やれやれだぜぇと深い眠りにつきました。
ローマ
イタリアの洗礼を受け、一日目にして旅費の半分を使ってしまったことはさておき、いよいよ二日目からイタリア自転車旅行が始まります。
旅行前に友人にもらったイタリア柄のシャツを身につけ、ヴィチクレッタ(イタリア語で自転車)を組み立て、ローマの街に出発です。
中学生の時、「ローマの休日」で観た場所、スペイン広場へ。
階段上からの風景が素敵でした。
建物の高さが同じで、様式が統一されていました。
漠然としたイメージで恐縮ですが、欧米諸国は個を大事にしているのに、街の建物が統一されているのは不思議です。景観への規制が厳しく、意識は高いと感じます。外観については公共の物という意識が強いのでしょうか。
その後、トレヴィの泉を回り、バチカン市国へ。
真実の口は、止めときました。本当に手が挟まって出てこなかったらとビビっていたからです。
20年前でしたので、地図を頼りにしようと考えて街角のスタンドで地図を物色し、イタリア全体の地図を購入しました。ただ、ローマから市外へでるための道が分からなかったため、ふと見つけた日本の大手旅行代理店へ道を聞こうと寄りました。
日本人っぽい方がいたのでお店に入った時、安心したことを覚えてます。
「自転車で旅をしています。ローマから市外への道を聞きたいのですが。」
『会員の方ですか?』
「会員では無いです。」
『それでは何もお答えできません。お引き取りください。』
(ちょっと記憶が曖昧ですが、このようなやり取りでした。)
ガーン!
ピサの斜塔から落とされたようなショックを受けました。
二度とこの会社は使わないと当時青年は心に誓ったのですが、今 思うと 夕方の閉店間際で面倒臭かったのかなぁとか、防犯対策として、身元のはっきりした人しか接しないようにしているのかなぁと。で、実際 今は利用してます。
なんとか街行く人に聞きながら、ローマ市を抜け郊外の宿に辿り着きました。
続く・・・(次回は「水が出ない!」です)
水が出ない!(お食事中の閲覧注意)
トイレに行って、用を足して、レバーをひねると水が出る。
レバーをひねると水が出る。。。
そうそう、当たり前のように水が・・・
・・・
出ない!!!
今もそうなのか、当時はそうだったのか分かりませんが、
トイレの水が流れないホテルが5軒中3軒ほど。
イタリア旅行の苦い思い出No.1です。
海外に行くと、畳よりも日本のトイレが恋しくなります。
あまり綺麗な話では無いのでこの辺で。
次回は、「ドヴェ フィレンツェ?」フィレンツェはどこ?です。
「ドヴェ フィレンツェ?」フィレンツェはどこ?
ローマ郊外の宿を出発し、とりあえずフィレンツェがあるっぽい方角に出発!
気持ちよく走る⇨すぐに不安になる⇨Bar(バル)に入りジェラートを食べながら道を聞く
「ドヴェ フィレンツェ?」と。
日本の方と比べると、心なしか男性がよく話しかけてくれた印象を持っています。
ほとんど「ヴィチクレッタ」(自転車)と「ドヴェ フィレンツェ?」で話をしてました。
もっと学んでおけば更に楽しかったろうなぁと。
身振り手振りも悪く無いのですが、
会話ができたらより楽しいのは間違い無し。
川崎市で「静岡市はどこ?」の感覚
イタリアの首都、ローマ。
日本ですと東京にあたります。
東京を出発して